どこか人恋しく歩いていた新宿のど真ん中。
偶然会って飲みに付き合わせたドブスのカチコは、初めて会った時も同じように新宿の真ん中だった。いつも街で会う。ケータイも知らないし聞かない。
でも、カチコは、カチコにしては良い笑顔でそんな俺を友達だと言った。…友達だってさ…
<友達>なんて、いつぶりだろう。高校生とかかな?今更友達なんていらないって思ってたのに、そう言われて嬉しがってる自分に気付いて…なんだかくすぐったい。
そんなだったから、カチコにケータイ教えてよと言われ、オレにしては珍しく素直に教えたりなんかしてしまった。
俺にしては結構話した。酔いも手伝って二人でギャーギャー喚いてみて、カチコはタフだなって、
あんな風になりたいって、思った。あんな風に、強くなりたい。笑いたい。
ふとさっきまで向かいにいた彼女を思い出して、思った。
笑い顔はドブスではなかったかな…今度からブスって呼ぼう。



(……あ)

次はどこに行こうかと駅前に近づくと、誰かが歌っているのが耳に届いた。
時々ギター一本で、ただひたすら観客を気にせず歌っている男の人。名前も知らないあの人は、
いつも眉間に皺を寄せて不機嫌そうに…感情を吐き出すように歌う。
いつも聞いてる人は少ないのだけど、初めて足を止めてまともに聞こうと思ったその日。
なぜかわからないけど、その歌声はグサリと刺さった。
…刺さったと同時にあの人が気になり始めている自分には、そっと蓋をした。
それでも、それからは歌ってるのを見かけると邪魔にならないようにちょっと外れた場所から聞いて、眺めていた。
彼の歌声を聞けた日は、前を向ける。また走れる気すらした。
まるで「ケツを叩かれている」ようで、頑張れる気がして。

「………っ」

気付くと足早になっている自分に苦笑して、深呼吸をするとゆっくり歩き出す。
焦らなくていんだ。まだ歌声は聞こえているんだから。
声のする方に歩いていると、自販機が目に入る。と、同時に脳裏に浮かぶカチコの顔。

(カチコが、頑張れって…言ってた… カチコは、頑張ってる…)
「…カチコ…」

そっと財布から小銭を出しペットボトルのお茶を一本買う。それをしっかり握ると、いつもの定位置に陣取った。

「…あ。新しい曲だ」















変わらない、何かを吐き出すような旋律が静かに終わりを告げた。
聞き入ってた自分に気が付き苦笑をすると、途端に早くなる自分の鼓動を聞きながらそっと彼の視界に入る位置に移動する。

「…今日は、もう終わりですか?」
「…っ?!」

声を掛けるとギターを仕舞っていた肩がビクッとするのが見えて、(しまった)と思った。
驚かせちゃった…最初から失敗だ。
鋭い目が少し大きくなって俺を睨むように一瞥すると、すぐにその視線は仕舞い掛けのギターに戻る。

「……ああ、まぁ…」

それでも問いかけに答えてくれたのが嬉しくて、そっとお茶を彼の前に置いた。

「これ、よかったら…差し入れ、です。…あの…時々聞いてるんですけど…CDとか、ないんですかね?」

目線をくれた時の為に、そっとしゃがみ込んでじっとその独特の顔を見る。真正面から堂々と見るのは初めてだった。
うん、独特…でも、バランスが取れていて、鋭い目とかは特に自分には持ち得ないもので…かっこいいと素直に思った。

「ああ、どうも… CD…俺のは、ないっすね。ただ、バーでドラマーとセッションしたやつなら…」

お茶に一瞬向いた視線がすぐにギターケースに戻る。
何かゴソゴソしてたけれど、眉間に皺が寄ってしゃがみ込むとこちらに顔を背けたまま、「ここにはないっすけど。俺の働いているバーにならありますよ」と告げられた。

(それ…、欲しい。それが、欲しい!)

急激に湧き上がる物欲。それすら久しぶりな気がして、急にリアルに感じる世界に一瞬めまいがする。

「それ、歌ってる?!…あ、歌ってますか?」
「え、 …ああ、まあ。全部じゃないっすけど」

びっくりした様子でやっとこっちを見た彼と、目が合った瞬間…世界がカラーに見えた、気がした。
どうしよう、ウキウキしてる、今。

「それ、欲しいです!どこに行ったら買えますか?」

自然と笑顔になった。変な笑顔になってないか心配だったけど、カチコは笑顔の俺が良いって言ってくれてたから、きっと大丈夫。

「うちのバーにくれば。」

彼はポケットから煙草を取り出し、火をつける。

「ありますよ。Dollyってとこなんですけど、ご存知ですかね」

吐いた煙草の煙は、俺とは逆に吐き出されていった。優しい。
そんな彼の仕草に俺はゆるく頭を振る。

「知らない…調べとく。…アンタの声、    すきなんだ。曲も。またここで歌う?」

今日はここまで。話しかけるだけで充分頑張ったよな、とふと力を抜いたらうっかりタメ口になってしまった。
やばい…と思ったら、やっぱり彼の眉間に少し皺が寄る…ごめんなさい。

「…どうも」

もう少し不機嫌な声が返ってくると思ったら、静かな声だった。歌声も良いけど、話し声も、好きな声だなぁと思った。
彼が携帯を開く。それを時間切れだと言われているんだと思って、その場を離れようと思っていた。

「…今からくるか?」
「ぇ…でも、疲れてるだろうし…俺、邪魔じゃ…」

いきなりの事態に、上手く頭が回らなかった。
え、なに?今、なんて言われた?…CD、買えるの?いや、そうじゃなくて…あれ?いや、それもそうなんだけど…?
混乱する頭をよそに、彼はギターを持ち上げてすたすたと歩き出してしまう。

「い、行く!行きます!」

思わず走りかけて、思いとどまる。少しでいいから、走りたい。でないとどんどん先に行ってしまって、この人ごみの中じゃ見失ってしまうかもしれない。
次はいつになるかわからない。折角誘って貰えたのに・・・!
意を決して走り出しかけた時、彼が止まってバーに入っていった。

(…近かった…置いてかれなかった…)

安堵と緊張感でごちゃまぜになった気持ちのまま続いて中に入ると、彼がまっすぐに向かったカウンターに遅れて到着する。

「ん、」

煙草をくわえたまま差し出されたCDは、未開封の、自主制作CD。
そっと受け取って少し眺め、裏面と置いてあった場所を交互に確認したけど、値段表記がない。
じっと、間近に立ってみたら自分より大分背の高いその人を見つめる。

「ありがとうございます…いくらですか?」
「………」

…当然の会話の流れだと思ったのだけれど。
どこか気だるげにまた煙草の煙をふぅ、と吐くと、「やるよ」と一言。やる?くれる…って、事、だよね?
嬉しかった。くれるって、ちょっと…普通なら、特別みたいだし…でも、俺は、今回に限ってはそれは嫌で。

「…駄目。」

カウンターに腰掛けた彼とお店の男の人が、「誘拐?」とか「うっせ」とかやりとりしているのを聞きながら、俺は拒否の言葉を吐いた。
カウンターの中にいるマスターらしい人に向き直ると、興味深げな視線が投げかけられる。

「いくらですか?」

聞いた瞬間、横から「チッ」って聞こえてきた。…あれ?お金払うって言ってるのに、俺怒られてる?
…なんか間違った…?
一瞬自分の顔が固まるのを感じていると、マスターが「二千円だよ」と教えてくれ…たと同時に響いた、音。
その音は、彼がカウンターを蹴った音だったと変に納得しながら財布から二千円を抜き出してマスターに手渡し、彼に視線を合わせる。

「ありがとうございます…くれるって、凄い嬉しかった。…でも俺は、これをちゃんとお金を出して買いたかったから…」

そう。あれが欲しいと言ったら渡されてきたようなその他の物と一緒には、したくなかった。どうしても。

「…あ、サイン!サイン欲しいです!」

いい事を思いついた!!と思ったのに。

「あぁ?ねーよそんなの」

舌打ちと共に一蹴されてしまった。

「えー…ないのか… あ、マスター、ビール下さい」

残念、といいながら彼とは席を一つ空けたカウンター席に座ると、注文を。
マスターの怪訝そうな顔を見ながら、その理由を思い出しカバンを漁っていると、また舌打ちと焼酎水割りを頼む声が聞こえてきた。…焼酎好きなのかな?

「はい、これ。…そんなに怒らなくても、一杯飲んだら帰りますから。バーに入ったのに飲まないで帰るわけにはいきませんよ」

苦笑をしながらマスターに学生証を見せて、未成年じゃない事を証明する。
マスターは申し訳無さそうに謝ると、ビールをすぐに持ってきてくれた。安い居酒屋とはちょっと違う、キメの細かい泡のビール。

「……ガキがいきがってんじゃねぇよ、おねむの時間だろォが」
「…これでも独り暮らししてる22歳。…心配しなくても、これ飲んだらどっかに帰りますよ」

家に、と言えない自分が少し嫌になりながらビールを一口煽る。うん、やっぱり美味しい。
少しその美味しさに口の端が上がった所で、ぼそっと呟きが届いた。

「…毎度あり…」

それが嬉しかった。なんだか、とても。
ビールをそっと置くと、勇気を出したんだから、もう一個位いいよね、と欲を出す。

「売ってくれてありがとうございます。…一個だけ聞いていいですか?」
「…あ?」

やっと俺を少し見てくれた事にまた少し浮かれて、浮かれた次の瞬間、緊張感がどっと押し寄せてきた。
やばい、手が、震える。
ばれないように膝の上に隠し、上手く笑顔が作れてますように、と祈った。

「名前、教えて下さい」
「……高倉。高倉ケンイチ」

灰皿に煙草を押し付けながらぶっきらぼうに吐き出された言葉を、大事に、受け取る。
(たかくら、けんいちさん…)
やっとわかった「彼」の正体を、心で呟くと、ビールを飲み干し、お金を置く。これ以上は、きっと邪魔になる。

「マスター、ご馳走様でした。ビールもお通しも美味しかったです。…高倉さん、色々ありがとうございました。
あー…俺は、悠。また歌、楽しみにしてます。おやすみなさい」

高倉さんに軽く一礼をして顔を上げると、ちゃんと鋭い目は自分を見ていた。俺が、そこにいた。

「…そりゃ、どーも。…おやすみ」

軽く高倉さんの頭が下がったのを見て、ゆっくり外に出た。
少し重い扉を閉めると、手が震えていて…そっとCDごと両手で握りこむ。

「…っ」
(カチコ…俺、ちょっと、頑張れた。憧れてた人とこんなに話せる日が来るなんて…。)

CDをもう一度見つめる。早く聞きたい。今日はちゃんと家に帰ろう、そんで、これ聞いたらまた明日から、少し前に進めるかもしれない。
なんだか人ごみが優しく見えて、俺ってゲンキンだなって思いながら家に向かって足を進めた。




●○●




誰もいない部屋に帰ると、いつもと変わらずキーンとした無音に泣きたくなる。
誰かを招いた事も無ければ、ほとんど自分がいる事すら無いこの部屋に 、久しぶりに帰ろうと思った。帰ってくれば、CDが聞けるから。
ピリピリと音を立ててビニールを剥がす。こんな事に緊張してる自分が不思議で、ふと、そうかと思った。

(俺…自分でCD買ったの…初めてだった)

まっさらなプラケースを開けて、恐る恐るディスクを取り出してデッキにセットする。
間もなく音が流れると、いつも生で聞いてる歌声が、いつもとちょっと違う曲調で流れてきた。それがなんだか凄く不思議で。

「……っ」

頑張って良かったと、思ったら泣きたくも無いのに涙が出てきた。おかしいな、染谷さんと別れた時も泣かなかったのに…。
少しずつ流れ落ちる涙と軽くなっていく気持ちの理由を探しながら、好きだった歌声が大好きになっていくのを感じた。


おわり