私が彼に初めて会ったのは、まだ彼があるブランドでチーフをしていた頃。
上司に相談を持ちかけられたりしていて、「チーフ」なのに偉そうな人だな、というのが第一印象。
でも彼の下に付いてすぐに、彼に実力があるからだって事に気がついた。
私はといえば、デザインの専門に通いながら早く現場の空気を知りたくてバイトを始めた所で…要は雑用だったけれど、
この「彼」との出会いは結局、私の人生を丸ごと変えてしまったのだった。



 「え…会社を辞める、んですか?!」

 専門学校を卒業して、そのままバイト先のこのブランドに就職した。
バイトとして入ってすぐに私の直属の上司になった染谷真という男は、販売部門のチーフという立場で上司にも頼られる立場だったけれど、
業績を伸ばして結果を出したのをきっかけに本来希望していたらしいデザイン部門に移った。
私はそれを期に彼とは離れるのかと思ってた…のだけれど、ただの雑用からバイトながらアシスタントに昇格してた私は、
「またイチから教え込むのが面倒」という真さんの一言で、結局一緒にデザイン部門に移動して、また走り回る日々だった。

そしてデザイン部門で頭角を表し、あっという間にサブデザイナーになってしまった真さん。
サブデザイナーとして経験を積み油も乗ってきて、もしかしてそろそろメインデザイナーに選ばれるんじゃないか、なんて
噂が社内で立ち始めた矢先の仕事帰り。
下について初めて真さんの自宅に呼ばれての大事な話というのは告白とかそんな色気のある話ではなくて…突然の辞職報告だった。

 「うん。やっぱ俺自分のデザインやりたい。ここだと…ブランド色考えながらデザインしなきゃいけないからね。」

初めて踏み入れた染谷邸(マンションだけど)は、男にしてはやたら綺麗な、でもそれが「染谷真」の部屋だと言われると
途端に納得してしまうような部屋だった。なんというか…雑なようでまとまっている、本人のような部屋。
そんなリビングのテーブルに寄りかかりながら、真さんは華麗に笑う。

 「ま、待って下さい!でも、自分のブランド立ち上げるって…そんな簡単な事じゃないですよね?そんなサラッと言わないで下さいよ…」
 「用意はしてきてたよ、少しずつね。縫製に必要なスタッフや契約先もピックアップして、もう交渉を始めてる。」
 「いつの間に…で、でも!でも、真さ」
 「高柳。俺がなんでここでサブに納まって、行きたくもない会社のパーティに全部出席してたと思うの?」

そう言い放った瞬間、真さんの目が滅多に見せない本気の目になった気がして、私も息を、言葉を飲む。
そもそも、ただデザインをしていたい真さんが、会社命令とはいえ全てのパーティ・全ての会食・全ての社交辞令に付き合うなんていう事は、
確かにありえない事だった。私はそれを、「サブになったから」だと勝手に思い込んでいた。

でも、今のその言葉で、真さんの本気が全部わかった気がして…それ以上は何も言えなくなってしまった。
と、同時に湧き上がるのは・・・自分に対する焦燥感。
この人に付いて、この人に魅せられて、いつの間にか「染谷真」というカリスマの世界が居場所になってしまっていた自分に今気付く。
私は、何も知らなかった。真さんの独立に向けた動きも、想いも。
そして何も聞かされていなかった私は、つまりここでコンビ解消という事で。
今更放り出されて、私は一体どうしたら…

 「高柳」
 「…はい」

俯いた私の視界にそっと手のひらが入り込んでくる。
顔を上げると、リビングテーブルに背中を預けたままの真さんがまさにニヤリといった表情でその手を差し出し、私を見ていた。

 「お前はどうしたい?特別に選択肢を上げよう。ここに残ってアパレル業界に身を投じるか。俺と一緒にここを出て、
俺の秘書として日夜駆けずり回るか。」

まるで歌うようにそう告げてきた。
差し出していた手を顎に持っていった真さんが、まるで「もう答えはわかってる」という表情なのがとにかく腹立たしかったが、
そう聞かれてしまったら…どうせ抗っても答えが決まってるのは確かな訳で。

 「私秘書なんですか?今アシスタントなんですけど?」
 「お前以外に俺の秘書出来る奴なんかいないだろーが。嫌ならコンビ解消だ」

わかりきってた答えを聞いたハズなのに、真さんはどこかホッとした顔をしたのを…今でも忘れられない。




私のボスは染谷真、今現在46歳。デザイナーズブランド「MONSOON」の社長兼デザイナー。
おかげさまで、最初は老舗のタヌキ共…失礼。昔ながらの年功序列を好む先輩方にやっかまれながらも今では認められ、
青山の一等地にショップが立ち、いくつかのデパートにテナントも入り、新宿に小洒落た事務所が存在する位には会社も大きくなった。
そんなやり手の社長に立ち上げ当初から秘書として私は寄り添い、知り合ってすぐに知ったゲイだという彼に惚れかけた事は…正直あったけれど、
でもなにより有能な彼に評価されている自分に誇りを持っていたので、今の立場のそれ以上にもそれ以下にもなりたくなかった私の
プライドと相まって、恋には発展しなかった。
それに、今は仕事の合間を縫って順調に恋も育んでいる。真さんは知らないけど。

 「社長、また寝てないんですか…ショーの前はただでさえ神経質になるんだから、最低4時間は寝てくださいって言ってるじゃないですか!」
 「んー…」

外での呼び名が「社長」に変わった今でも、マイペースな自分たちに変わりはない。
そんな中、最近なにやら騒がしい真さんの周辺が、彼に良い影響と安らぎを与えてくれるといいなと思う。
出来れば、本当は寂しがりやなこの人の安らげる場所が見つかりますように。


おわり