昼過ぎ。
華ちゃんから緊急連絡が入り、仕事を放り出して車を飛ばし病院に駆け込んだ。
よくわからない吐きそうに痛む胃と、いないと思ってた神様に縋り付きたい気持ちを抱えて
病院の緊急外来に飛び込む。
と、すぐに救急車に付き添いで乗っていた華ちゃんが俺を見つけて立ち上がった。

 「ぞめやざんっ!!」

今にも泣きそうな顔で俺に駆け寄り、俺の目を見つめるとググッと口を引き結ぶ。
二拍程置いたあと、口を開いた。

 「生方さん、足場から落ちて…たまたま置いてあった木材の上に落ちたから、
命に別状は無いって言われたんです…でも、目、開けなくて…」

小さくて、小刻みに震えるその肩に手を置く。

 「知らせてくれてありがと…俺が付いてるから。目が醒めるまでずっと。…だから、大丈夫。」

自分に納得させるように言いながら、押し寄せてくる不安に…打ち勝てそうにない。
それでも両足を踏ん張って踏ん張って、臣の病室に足を向けた。





 臣が落ちて眠りについてから三日目。
仕事用にノートPCを持ち込んで臣の隣で話し掛けながら仕事をする。

 「この店舗、スーツの売り上げがイマイチなんだよね…   こっちはスーツ以外がイマイチ。
上手く行かないもんだね?……そうだ、臣、今度クリスマスに贈ったスーツ着てデートしよっか。
俺もその日はスーツ着るよ。スーツデートの日、良いアイデアかな?」

どう思う?なんて問い掛けても返事はない。分かってるけど、臣は夢の中で俺の声を聞いてる。
きっと、聞いてる。

 「どうしよっかな、臣のがグレーだったしなー…俺は黒のスーツでブーツ履いちゃおうかな…」
 「………   ……」
 「それともー…濃いブルー…群青色のスーツとか」
 「……    …?」
 「………」
 「…ここ、は…?」
 「…え…?」

微かに空気が動いた気がして、恐る恐る臣に視線を戻す…


目が、合った
真っ直ぐ俺を見つめる真摯な目。

 「!!!!!お、おみっ!!!」

ノートPCを乱暴に置き、駆け寄る。管が付いていて、少し痩せて見える頬に震えながら手を伸ばした。

 「臣、ど、どっか痛い?こ、声、でる?声……   っ…声、聞かせて…」

震えながら話し掛ける俺を逆に心配したのか、臣の眉間に一瞬皺が寄った。
そして、訝しげに頬に触れたままの俺の手を剥ぐように離す。

 「……誰だ?」







 臣が、何を言ったのかが最初全く理解出来なかった。
でも、臣が俺を見る目が…初めて会った時と同じ目をしていたから…俺を、見てなかったから。
なんとなくわかる。誰に何を言われなくても、なんとなく。でも…
医者を呼ぶとすぐさま駆けつけてくれて、その場で臣に質問を何個かして脳波とやらのデータを取って…
そして呼ばれて突きつけられたのは、薄々気付いてたけれど、それでも受け入れられない現実。

 「生方さんは、記憶障害のようです。名前と職業・大まかな自分の事は覚えているみたいですが…
ここ数年の記憶が無いようです。目立った外傷も無いですし、記憶だけは私共としても今は何も出来ないので…」

要は退院しろといった事を言われ、その後の通院予定やら薬がどうとか言われた。
言われたけど、頭になんか入って来なかった。
だって、臣は俺を覚えていない。俺を、覚えてないんだ。


俺を忌まわしい過去から解放してくれた。
臣のご両親のお墓にご挨拶に行って、二人涙を流して、指輪を交換した。
俺の誕生日にアメリカの教会で結婚式を挙げて、誓い合った。
俺の家で一緒に暮らし始めて、何度も何度も俺は臣のもので、臣は俺のものだと囁き合い、お互いの隣が世界中で
一番安心出来る場所なんだと…

その全てが一瞬にして、掌から消えていった。
病室に臣と二人残され、俺は黙って自分の両手を眺める。喪失感はまだそこまでじゃない。
あの日々は夢になったんだ、と自分に言い聞かせているだけで。
臣が思い出さない以上、自分が手に入れたと思っていた幸せは、もう来ないんだって、臣を諦めなくちゃいけないんだって。
その選択を今更また突きつけられただけなんだって、言い聞かせているだけ。
でも大丈夫、きっと臣は戻ってくる。


…でも、同時に覚悟をしなくちゃいけない事も、わかった。
このまま、臣を諦める覚悟を。





つづく