「ただいま〜」

 臣が記憶を失くしてしまって早3ヶ月。無意識に甘えてしまう自分に気付いて、仕事と理由を
付けて事務所にしばらく泊まり続けていた。
久々に戻る家の匂いに少しホッとすような、今の自分にとっては…臣と二人きりで辛い気がするような。

 「おかえり。…久しぶり」
 「うん、久しぶり」

上着を脱ぎながら部屋に入る。ハンガーにかけ振り返ると、今は臣だけが使っているベッドを眺める。
その上に散乱している臣の作業着や私服を見て、ふと微笑みが漏れた。
良かった、リラックスして過ごせてるみたいで。

 「染谷さん、夕飯は?」
 「ん?ニアのとこで食べてきた〜」
 「…そうか」

何か陰りがあるような物言いに、顔を上げてそこで初めて臣の顔を見る。なんだか…元気が無い?

 「…生方君、どうした?なんかあった?」

俺がいない間に何かあったのかな?記憶が戻ったわけじゃないっていうのは、
帰ってきた時の反応でわかってる。
臣はなんともいえない気まずそうな表情で、手に持っていたファイルを突き出した。

 「……これ…どういう事か教えて欲しい。…考えたけど、わからなかった…」
 「…?」

軽く受け取り、ファイルに挟まった物を開いてみて…固まった。

 「……」
 「…染谷さんは知ってるんだろう?」
 「…………うん」

そこに挟まっていたのは…臣が無くした記憶の欠片。
その欠片の一枚を取り出して眺める。壮大なステンドグラスと十字架の前に立って、キスをする二人。

 「…」

探したけど、見つからなかった。途中で探すのを諦めたのは、これを臣が見た事で…記憶が戻る
引き金になるかもって、少し思ってしまったから。
でもそんなのは夢だった…今目の前にいる臣に視線を戻して見つめると、動揺で強張った表情と目が合う。
覚悟を、決めなくちゃいけない。今。

 「…………俺ら・・・同居人じゃなくて、同棲、してたんだ。…恋人同士だった」
 「!!!」
 「この写真は、俺のじゃなくて生方君のだ。…どこにしまってたんだろう…見たら君が混乱すると思って
結構探したんだけどね」

苦笑しながら残りの写真を眺めると、懐かしいのがいっぱい入ってた。
一緒に渡米した時の搭乗券、旅館のパンフレット…こんなのまで取ってあったんだと思うと、どれだけ臣が
俺達の思い出を大事にしてくれてたのかがわかって、余計に…切なくなる。

 「…恋人?」
 「うん、恋人。俺が告白して、生方君が受け止めてくれて…ここで一緒に暮らしてた。」
 「…男同士、だぞ?」
 「そう、男同士だけど…でも、好きになっちゃったんだ。君のこと。
…黙っててごめんね。その…気持ち悪い…かな?」

臣の目を見るのが、臣がどんな表情をしてるのかを見るのが怖くて顔を上げられない。
視線を手の中のかつての思い出達に向けながら、なんとかそう口にする。

 「……」
 「…」

少し待っても返事は無くて。
まるで二度目の告白だな、と思いながら、そっと目線を臣に移す。
…臣はとても…とても、困った顔をしていた。
やっぱり、という気持ちと、それでもまだ、という気持ちがない混ぜになって泣きそうになるのを
必死に堪える。
臣が、好きだ。臣がすき…。
つき合い始めてからもう結構経つのに、なお溢れ出しそうな愛おしい想いを持て余しながら、
臣に触れたくて触れたくて一歩近づく。
一歩、その距離が縮まった時。
ビクッと微かに動いた臣が…縮まった分、一歩、後ろに…下がった。





 「…ごめん。余計な事言ったね…あ、あのさ…」
 「……」
 「ここ、このまま生方君が使ってくれてて良い。俺はどうせ仕事が忙しいから…事務所に
泊まり込む事がほとんどだし。…事務所に近い所に引っ越すかなって、思ってたんだ」
 「…ぇ…?」
 「気持ち悪い、だろ?ごめんな…なるべく早く荷物も持って行くから」

 溢れ出す涙をこぼれる寸前でなんとか止めて、無理矢理笑顔を作った。
笑えてるのかもわからないけど。
部屋に戻り、出張用のでかいボストンバックに当面の着替えをまとめて入れる。ここには居れない。
臣が俺を拒否してる所には、俺は居れない。そんなに…そんなには、強くない。
さっき掛けたばかりの上着にもう一度袖を通すと、臣の匂いに包まれる自分の部屋を眺める。
臣に片思いをしてた。気持ちが繋がって、大きな熊を買って、臣と暮らした。
その幸せな思い出に目眩を感じながら、事故があった日にレントゲンを撮る際に外したままだった
臣の指輪をそっと、ベッド脇のサイドボードに置いた。
俺の指輪は、外せない。女々しいって言われたっていい、これだけは外せない。
一粒だけ溢れてしまった涙をぐいっと袖で拭い、部屋を出る。
部屋のすぐ外で立ち尽くしていた臣を少し見つめ、泣いたと分かる少し赤い目のまま笑顔を作った。

 「…ぁ…っ、     …臣、…さよなら」
 「っ…?!」

愛してるって、言いたかった。
今でも恋い焦がれて、何度も心で愛してると呟いて。もう一度でいいから抱き締めて欲しかった。
でも、言えなかった。臣の事を考えたら、言っちゃいけなかった。

最後、君の目に映る俺は少しでもかっこよく居られたかな?
もう一度君と恋が出来たら良かった。
臣への片思いは慣れてるんだ。それがあと死ぬまで続くだけだから、そんなのなんて事ない。
もう二度と君の前に現れないってのだけは、ちょっと辛いけど。



続く