冷え切った事務所の机の下に座り込み、周囲を気にする事無く泣いた。
ここに来てからもうどれ位経ったのかわからない程泣いて、気が付いた時には瞼が腫れて
熱を持っていた。手を開けば、映る自分の手が滲んで見える。

 「…っ…、っ」

また涙が溢れて頬を伝うけど、もういいんだ、もう誰を気にする事もない。
…臣は、俺の幸せは、完全にこの手から逃げ出してしまった。
どうせダメになるんだったら、好きだと、愛してるともう一度ちゃんと言えば良かった…でも、やっぱり…
振られる覚悟は出来ていても、嫌われる覚悟までは出来てない。
これで良かったんだという想いと後悔が渦巻いて、ただただ、あの頃に帰りたい。
臣に会いたい。臣がいる家に帰りたい。臣に、もう一度だけでいいから…。
叶わない願いだけが胸の中を支配して、そしてそれはもう叶わないと何度も何度も自分に言い聞かせる。

 「ぉ、みっ…っ、ひっく、おみ…おみぃっ」

欲しいのは、心から欲しいのは君だけ。そう思う程に涙が止まらず、しゃっくりが止まらなくなる。
指が震えて臣以外何も考えられないまま、その場で丸まって自然と気が遠のくのを待つ。
それしか、この地獄から解放される方法は無い。
泣きすぎでしゃっくりが止まらないまま、目の前が段々とぼぅっとし始める。
もういつからか、流れて伝う涙を拭う事も忘れてそのままになっていた。
涙なのか腫れのせいなのか、目の前がよく見えないままこのまま死ねたらいいのにと思い始めた頃、
事務所の扉が開く音がした。
高柳かな、なんか忘れ物でもしたのかな…でも、もうどうでもいい。今日は放っておいて欲しい…
何もする気が起きない。体裁を整える気も起きない。
しゃっくりを、涙を、…臣の事を考えてしまうのを、止める方法がわからない。

 「…っ、…っく、…っく」

失恋で人は死ねるんだなという発見のような想いをどこか頭の隅で考え始めた中、耳に聞こえるのは
微かな足音と自分のしゃっくりだけ。


 「…っ、まこと、さん」

ふわっと、すでにどこか懐かしい、この世で一番安心する香りが鼻をついたと思った次の瞬間。
滲んで良く見えない視界いっぱいに暖かな服地が押しつけられた。

 「…っく、…?」
 「真さん…っ、すまない…独りにしてしまった…独りで、俺が泣かせてしまった…真さん」
 「…っく、…っく…ぉ、おみ…っ?」

俺の問いかけに答えるように、ぎゅうっと身体が圧迫される。
よく、わからない。臣?臣がいるの?よく見えない視界が余計に思考を妨げる。

 「俺だ…  …?真さん?」

ふ、と身体の圧迫感が軽くなって、目の前に覆われていた服地が離れる。
と、人の顔が…愛しい、恋い焦がれた人の顔が朧気に視界に映った。

 「…こんなに…  …目が、腫れてる…」
 「っく、…・っく…?」

何となく見えている景色がまだ信じられず、なんで臣がこんな所にいるんだろう?と
不思議に思っていると。
そっと、暖かいキスが、腫れきった瞼に降りてきた。

 「…ぉ、おみ…?おみっ!?」

ビクッと身体が震え、目の前で起こった事がわからない。
わからないけど、こんな顔を見せたくないという思いがまず先に立った。

 「っく、だ、めっ」

しゃっくりを上げながら手を突っ張り、臣から逃げようと、顔を隠そうとするが、
ガッチリと腕を捕まれて顔も隠せない。なんで…

 「な、なんでっ  なんでこんな意地悪、するっ、っ?離して…っ お願、だからっ 放っとい」
 「真さん、俺だ!」

混乱で涙が止まる。
必死に逃げようとする腕をより強く握られ、目の前にズイッと顔が近づいてくる。
その近づいた愛しい顔が怒鳴って・・・唇に暖かくて柔らかい感触を落してきた。
何度も何度も、不器用で、でも心の籠もった…いつだって触れるだけで好きだと想いを伝えてきていた
そのキスが、今また何度も繰り返される。

 「…っ…っ…っ」
 「……」

止まらないしゃっくりが、どれだけ泣いていたかを物語る。
大人しくなったのが分かったのか、ゆっくりと唇が離れるとそのまま抱き締められた。
もう二度と包まれる事は無いだろうと思っていた温もり。
その中で強ばっていた体からも段々力が抜ける。

 「…おみ?」
 「ああ。俺だ…」
 「……ぉ、俺の?」
 「真さんのだ。真さんも、俺の、だろう?」
 「…っ」

また、さっきとは別の涙が溢れるとじんわりと目の前の肩を濡らした。
途端に胸に広がる安堵感。こんなに、臣は暖かかった。

 「臣、臣の、ばかぁ…っ」
 「あぁ、俺は馬鹿だ」
 「なんで忘れるんだよ、お、俺だけっ覚えてたって、ダメなのにっ!
おみがいなかったら、もう頑張れな、のにっ!!」 
 「っ…すまない…」
 「…っ…・、おびぃ…っ」
 「真さん…本当にすまない…」

縋りつきながら口をついたのは、自分でも思い掛けない言葉。
違う、こんなんじゃない。伝えたいのはもっと…。

 「……っ」

 意図せず広角が下がって嗚咽しか出なくなり、思わず口を噤む。
再び溢れ出た涙で顔も頭の中もぐちゃぐちゃな中、臣はただただ、抱き締めてくれた。
黙って目を閉じれば、臣の心臓の音が心に染み入ってくる…。

 「……おみ…」
 「…ああ」
 「…あ、…愛してる…」

ぎゅうぅっと、力の限り背中に回した手に力を籠める。
それに応えるように少し苦しい位に回された腕に力が入ると、耳に優しい声が響いた。

 「俺も。俺も、真さんを愛してる」











 一度手放した温もりに包まれて、周りの目も気にせず家まで手を繋いで帰った。
酷い顔を見られたくないとぼやくと、夜だから見られない。大丈夫だから、早く帰ろうと言われた。
見られたくないのは臣になんだけど、と思ったけど、うん、俺も早く帰りたい…臣とまた居られるなんて
思ってなかったから…またこうして、手を繋げるだなんて。
きゅっと少し手に力を入れると、ん?と臣の視線が俺を捉える。
すっかり目が腫れている酷い顔で微笑みながら「俺、不細工」と呟くと、「真さんはいつだって綺麗だ」と答えてくれた。
こんな俺でも綺麗だと言ってくれる臣が…隣にいてくれる事が奇跡なんだって、本当に思い知った。

 「おみ…」
 「ん?」
 「…お願いだから、もう居なくならないで…」

思わずそっと呟くと、歩みが止まって振り返る。じっと俺の目を見つめると、夜中とはいえ道の真ん中で抱き寄せられた。

 「もう、離さない…真さんを独りにはしない」
 「うん…うんっ」

 事務所にずっといたせいか、「冷え切ってる」と心配そうに言われそのまま帰路に着いた。
臣が俺を心配をしてくれる。そんなただの日常がこんなにも愛しかったなんて、知らなかった。
その日は久しぶりに戻ってきた温もりを抱きしめながらゆっくりと眠り、次の日休みを取ると
臣も休んでくれて、二人きりでくっついて過ごした。
何度も何度もキスをして、愛してると伝えて…それでもまだ少し不安で、思い切って初めて自分から
お願いをして、臣に抱いてもらった。
ちゃんと俺は臣のもので、臣は本当に俺のなんだとわかって心が落ち着いた時、ちょっとまた泣いた。
もう大丈夫。臣、ありがとう。
深夜、寝入っている優しい大好きな寝顔にキスをして、力強い腕の中に潜り込んだ。



おわり